鎖につながれたサーカスの象の寓話をご存知の方も多いかと思います。時々私はこのお話を思い出すのです。
生まれて間もないころから鎖につながれたサーカスの象。
鎖は小さな木の杭につながれていて、
幼い象の力では、
どう頑張ってもそれを外すことができません
非力を思い知らされた象は、
やがて逃げることを諦めます。
その象は成長しても、
ずっと同じ杭に鎖でつながれたまま。
決して逃げようとはしません。
身体は大きく十分な力もあります。
鎖を杭ごと外すことなど
簡単にできるはずなのに。
逃げようとしないのは、
かつての体験による
「思い込み」がとっても強いからだと考えられます。
何回やってもダメだった。
自分にその力は無いのだ。
出来るはずなどないのだ。
(´・_・`)
大人になっても
自分は無力だと信じ込み、
木の杭ごと引き抜こうという考えすら
思いつかなくなってしまう
備わっっている能力を、
発揮することも
感じ取ることさえも出来なくさせるほど、
置かれた環境により刷り込まれた
「思い込み」は強烈で根深い
ACの方には、
思い当たることがおありだと思います
私にも、山の様にございます
例えば私には、結婚するにあたって、
親から告げられた条件がございました。
細かい事情は割愛しますが、
親戚一同の前でこう言い渡されたのです。
michikoは、
相手の姓でもこの家の姓でもない、
母方の祖母の姓を継げ
(゚△゚;ノ)ノ
特に名家というわけでもございません
今思えば、全くもって乱暴な話です。
こんなものは無視してしまえば良かったのですが、
当時の私にはそのような発想はありませんでした。
ただひたすら、
その通りにすることだけを考えて、
それは真剣に思い悩みました
夫婦養子?
夫婦別姓?
四半世紀以上前のこと
現在ほどライフスタイルや価値観が多様化してはいない時代です。
その頃お付き合いしていた方を、
私はとても大切に思っておりましたが、
言い渡された姓の問題は
とてつもなく大きな障害となって、
じわじわと私を追い詰め脅かしました
私も
「家」という鎖につながれた
「サーカスの象」だったのです。
私にとっての「家」=「母と兄」
これは絶対でした。
そこから逃れることはできません。
命じられたことは与えられた「任務」として、
確実に遂行しなければならない。
悩んだすえ、お付き合いしていた方に、
勇気をもって説明しました。
繰り返しますが、
まだまだ昔ながらの価値観が中心だった時代です。
相手の方の答えは
案の定「NO」でした
予想通りとはいえ、
若かった私は、ひどく落胆しました
けれども、
だからと言って、
「任務」を放り出すことが、
当時の私には出来なかったのです
例によって、表向きは
「大したことではない」
「全然気にしていない」
風を装いました。
けれどもその後、
素敵な体験であるはずの当時の恋愛を
少しずつ悲観するようになり、
どこか純粋なものではなくなっていったように思います。
もしあの頃
「鎖」を外すことが出来ていたなら、
想像を超えた困難を伴うことになったとしても、
もう少し早く、私は
自分の人生を生きることが出来ていたのかもしれません。
多分私には複数の「鎖」があり、
それぞれに小さな「杭」が打ち込まれておりました。
無能で非力だと思い込んでいたために、
長い間、何も手を打つことができなかったのは事実です。
けれども、今はこんな風にも思うのです。
その鎖と杭のいくつかは、
私自身がつくりあげてしまった
幻影だったのかもしれないなあ、と。
今私は、主人の姓を名乗って、
自分らしく生きています