まずは物理的な遮断から行う

先日、茶釜の断捨離を決行しました。
業者さんに買い取ってもらったのです。

 

20年近く前、積み上げられた大小の茶道具を前に
「michikoにはこれをやるから」と母に言われました。

 

有難いと思うべきことなのでしょうが、
私は素直に喜べませんでした。

 

母が用意してくれた茶道具たちは、
古くて箱があったりなかったり、
用途がダブっていたり淵が欠けているものがあったり。

 

日用品を道具に見立てて使う楽しみ方も
茶道にはありますから、
高価なものや新しいものだけが絶対ではありません。

 

かの侘茶人千利休が
「清潔な茶巾さえあればよい」と言ったという話は有名です。

 

私は気を取り直して最後の包みに手を掛けました。

 

その古びたビニールの風呂敷は埃にまみれており、
何年も放置されていたことが伺えました。

 

包みを解くと、
全体に錆びが浮いて茶色く変色した茶釜がありました。
風呂敷の内側にも粉っぽい錆が零れ落ちています。

 

当時母は5畳程の納戸にぎっしり、
桐箱入りの立派なお道具を保管していました。
棚を作り整理したのは他でもない私です。

 

錆びを落とせば使えるのかもしれませんが、
見かねた姉弟子が後から母に
「いくらなんでもこのお釜では」と進言してくださったと聞きました。

 

後日実家を訪れるとその釜だけは、
桐箱に入った別のものに換えられていました。

 

けれどもそれはそれで惨めな気持ちになり、
私は母に礼を述べて引き取りはしたものの、
中身の確認まではしませんでした。

 

 

 

母と兄から物理的な距離を取るために
私は何度か引っ越しをしています。

 

荷造りや荷解きの際、
嫌でもその桐箱や茶道具の入った風呂敷包みを
手に取らなければなりませんが、

 

その度鮮明に蘇る当時の記憶は
何年経っても苦しいものでした。
中でも例の桐箱は圧倒的な威圧感を放ち、
私の気分を落ち着かなくさせました。

 

私は全てを奥へ奥へと仕舞い込み、
今の住まいに転居してからの10年間も、
その桐箱を開けてみることは一度もありませんでした。

 

それが先日、ふと開けてみようと思い立ちました。

 

鉄製の茶釜は「風炉」という唐銅の道具とセットになっていて、
恐らく灰も入っているのでしょう、
50~60センチ四方の桐箱はかなりの重さがありました。

 

ずるずると箱を引っ張り出して部屋の真ん中に置き、
そっと蓋を開けました。

 

お香とカビの混じったような古い匂いに、
かつての記憶が蘇ります。

 

動悸がしてきたので
「今の私は、大丈夫」と言い聞かせました。

 

入っていたのは、
稽古でも使った記憶があるそこそこ立派なお釜でしたが、

 

ある付属品品が、見当たりません。

 

慎重に全てを取り出し終えたとき、
私は実に久しぶりの強い怒りがこみ上げてくるのを感じました。

 

「鐶(かん)」が入っていないのです。

 

茶釜は手の脂を嫌うので、
たとえ空でも素手で触れてはなりません。
「鐶」というのは、
茶釜の側面にある耳のような突起に通す鉄製の輪っかのことで、
釜を移動させる際の必需品。
釜師が茶釜と合わせて作る、
芸術性の高いものです。

 

母は茶釜を少なくとも10以上所有していましたが、
そういえば茶会などで使用して
鐶を紛失してしまった茶釜が一つか二つありました。

 

そして母は
「鐶のないお釜はガラクタだ」と嫌っていました。

 

嫌っていたその釜を、
鐶のない「ガラクタ」を、
母は私に寄越したのです。

 

 

 

当時の思いと共にこみ上げた私の怒りは、
「っっっざけんな!」
といった品のない言葉となってぶちまけられ、

 

クッションには
何発か強烈なグーパンチがかまされました。

 

もちろん部屋には誰も居ません。

 

一通り感情表出を終えると

 

私はまだ、
特別な何かがこの桐箱の中に託されているのではないかと、
微かに期待してしまっていたのだと気付きました。

 

 

 

「これはもう、手放そう」

 

母は私が望むような情愛を
持ち合わせていなかったのです。
十分解っていたはずのこの理屈を反芻すると、

 

母があらたまって私に分けてくれたものが
この茶釜であることが、

 

却って「あの人らしい」と思えてきました。

 

あまり好きになれないタイプの、
ご近所のお姉さまだと思えばいい

 

 

 

物理的な断捨離は、
情緒的な断捨離を促すものなのかもしれません。

 

 

 

私は早速業者に連絡し、
着物数枚と茶道具を引き取ってもらう段取りを付けました。

 

後日訪ねてきた業者による
「ガラクタ」の釜の査定は2千円。

 

それでもあの桐箱が
我が家から消えたことで得られた解放感は
清々しいものでした。

 

物理的にも情緒的にも、
余計な荷物は断捨離しながら
清々しく歳を重ねていきたいと思います。