少し前に、髪を切りました
鏡の前でヘアカタログを提示しながら
いわゆるイタいおばさん(笑)と思われないようにと、
美容師さんと相談して
12〜3センチカットしパーマをかけました
夏の間、長い髪をまとめて過ごしておりましたので、
カットしたことで印象は変わりましたが、
それほど思い切ったわけでもなく、
これまでも何度かしていた雰囲気の仕上がりに
翌朝、
もっと短くしても良かったかなあ。
ワックスを簡単に揉みこんで出かけると、
何人かの方が髪型の変化に気付き、
褒めてくださいました。
具体的な言葉は割愛します(・・照れくさいのです)が、
とても素敵な言葉をかけてくださったのです。
・・・自慢したくてここに書いているのではありません
そのお褒めの言葉はありがたくて、
とても嬉しいのだけれど、
・・嬉しいのだけれど、、、
私は急に居心地が悪くなり、
混乱し動揺してしまったのです
(。Д゚; 三 ;゚Д゚)
そんな自分に、
ちょっとがっかりしました。
動揺を悟られまいと
これでも相当頑張りましたので、
その都度
それなりの反応でお返ししてやり過ごせていたと思います。
けれども内心はどうにも落ち着かず、
どうか早くこの話題から遠ざかってくれますように
どうか皆さんの注目が私ではないところへ移りますように
そうすがるような気持ちでおりました。
私の中には
動揺するきっかけとなる「スイッチ」が
いくつかあるのですが、
どうやら容姿にまつわることも
その「スイッチ」の一つのようです。
体調に影響されるものですから、
いつでも毎回、というわけではないのですが、
容姿について何か言われると
たとえそれが褒め言葉であったとしても、
落ち着かなくなってしまうことがあるのです
昔兄や母に言われた否定的な言葉や
その時の感情が、
かすかに頭をよぎってしまい、
どこか信じられないといいますか、
素直に受け取れないといいますか・・。
若干、
解決していない課題が残っているのだと思います。
随分練習したんだけどなあ
褒め言葉を頂いたら、
「ありがとうございます」とさらっと受け取ることが、
大分できるようになっていたと思っておりましたが、
そうではありませんでした。
けれども、
上手く受け取ることが出来ないもどかしさや混乱を、
あらためて感じることはできました。
日頃カウンセリングでは、
小さな褒め言葉を受け取る練習をしていただいています
これが自己承認を促すステップであり、
自己愛を育てるトレーニングになると考えるからです。
もちろん私も、その練習を重ねて参りました。
ですので以前とは比べものにならないほど、
褒め言葉を素直に受け取ることができるようになっていると思います。
けれどもせっかく褒めていただいた(=承認された)というのに、
今回のように、
他者から認められた自分を上手く認められない事態にも、
時々陥ってしまうのです。
承認
かつて私は、
母からの承認をどれほど欲していたことでしょう。
もっと年齢を遡れば、
承認欲求など
持っていないふりをしていたようにも記憶しています。
それは
認めて欲しい
褒めて欲しい
そう求めるほどに、
母がどんどん遠ざかっていくような
不安があったからかも知れません。
できたからって調子に乗るな
やれて当たり前だ
そんな言葉と共に。
強い承認欲求は、
劣等感が強く働いているということなのだともいわれます。
ひょっとしたら
幼い私は感覚的にそれを知っていて、
ダメ出しの連続から必要以上に傷つき易くなり、
自信を喪失していたことに決して気付かれまいと、
承認欲求など持っていないふりをしたのもしれません。
今の私は、
かつての私とは環境が異なります。
褒められたいと自然に感じて、
褒められたなら素直に喜んでいい
褒められたことを素直に受け取れた時の喜びというものは、
それはそれは素敵な体験
これはきっと、
承認欲求を
自己承認という形で満たすことができた喜びなのだと思うのです
笑顔で心から、
「ありがとうございます」と言えるよう
今日もまた、トレーニングを続けようと思います。